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伊藤紺さん連載【1週間のタオル】時間を重ねて柔らかくなる火曜8時の<moussepuff>

2023.05.30

楽しむ
伊藤紺さん連載【1週間のタオル】時間を重ねて柔らかくなる火曜8時の<moussepuff> 伊藤紺さん連載【1週間のタオル】時間を重ねて柔らかくなる火曜8時の<moussepuff>

うれしいときも、さみしいときも、疲れきったときもそばにいてくれるタオル。日々を生きる心と身体をふわっとやさしく包みます。

歌人の伊藤紺さんが綴る、あなたに寄り添うタオルの物語。今回の舞台は火曜8時。結婚10年目、おだやかな朝を過ごす2人のお話です。

*****

占いには悪い思い出がある。24歳のとき、当時付き合っていた彼と早く結婚したくて、友人に紹介してもらった横浜の占い師さんに鑑定してもらったのだ。具体的な人生設計があるわけでもなかったくせに、そんな若さで何を切羽詰まっていたんだろうと思う。今思えば、その人と本当に結婚したいわけじゃなかった。仕事がつまらなくて、毎日不安で気が狂いそうで、誰かに早く安心させてもらいたかった。結婚だけが希望の光に見えていたのだ。そのときの自分を思い出すと恥ずかしくていてもたってもいられなくなる。「穴があったら入りたい」とはこのこと…。気づけば、淹れかけのドリップコーヒーがすっかり落ちきっていた。

揺れるカーテンの写真

「おはよう」

背の高い健くんがすっきりとした顔でリビングに入ってきた。おはよう、と返す。

「なんか、ぼーっとしてた?」
「やなこと思い出してたかも」
「あら、朝から? ごはん食べようか、シャワー浴びてくる」

洗面所に向かう健くんの広い背中。この人は本当に余計なことを聞いてこない。付き合いたての頃なんて少しさみしく思ったくらいだ。27歳のときに出会って、1年付き合って結婚してから、もう10年。この距離感にこれまで何度救われてきただろう。

なぜ朝から占いのことなんて思い出してしまったかというと朝の情報番組の占い特集にまさにその占い師が出演していたからだった。ぎょっとした。当時わたしに結婚を迫るよう強く言った、あの目。「あなたと彼は運命だから、あなたが求め続けることが大事」と力説されて、バカなわたしは真に受けた。彼に結婚の意志をしつこく確認し、めんどくさがられて別れを告げられたのだった。おまけに彼はその直後に、別の人とスピード婚をしてしまったので、立ち直るまでに2年ほどかかった。それがわたしの人生で一番苦い時期だ。

シャワーを終えてさっぱりした健くんと大きな木のテーブルに向かい合って座る。届いた時は大きすぎるかと思ったけれど、たっぷり大きなお皿を好きなだけ並べられて、真ん中に花瓶や果物を置く余裕すらあるテーブルは、ふたりの距離を気高く保ってくれる。健くんが窓際で、わたしがキッチン側の定位置。天窓から入る初夏の朝日が、コーヒーの表面をつやっと照らしている。バターをたっぷりのせたトーストをかじる。毎日食べるのに毎日おいしいなあと思う。幸せなことだ。健くんがもぐもぐしながら、「あ、」と思い出したように言った。

「あのタオル、すごいね」
「お、でしょ?」

「真実ちゃんが洗うほどふわふわになるって言ってたの、正直信じてなかったんだけど、もらったときより分厚い感じするもんね」

「ふしぎだよね」

ムースパフ

実家で出会った<moussepuff(ムースパフ)> というそのタオルは、本当にふわふわで、洗うほどボリュームアップするので、羨ましがったわたしに母が送ってくれたのだった。

「いいよね。ものは普通使ったら使っただけ消耗しちゃうじゃん。革とかもそうだけどさ、使った年月がプラスの方向に働いてくれるってやっぱりうれしいもんだよね」

コーヒーを飲んで、健くんが続ける。

「仕事とかもさ、なるべくそういうことに関わっていたいよね」

そうだね、と言いながら、健くんだなあ、と思う。余計なことは聞いてこないくせに、素敵なことは、こうして報告してくれる。小さなことをないがしろにしたり、大きなものを過剰に大切にしたりせず自分にとって大切なことを大切にしている。そういうところに出会った頃からずっとシンパシーを感じている。

シンクに置かれた食器

「ねえ、占いって行ったことある?」
「占い? なんでまた?」
「さっきさ、昔みてもらったことある人がテレビに出てて」
「ええ、すごいね。俺はないんだよなあ。一回くらい行ってみたいけど、たぶん行ったら、信じちゃう。それで暴走とかしそう」
「暴走?(笑)」
「花を飾れとか、食器を磨けって言われたら、たぶん毎日しちゃうね。できないときに罪悪感が湧いてきたりして。だから行けないんだよなあ。真実ちゃんもそういうタイプかと思ってたけど」

健くんは笑っていたけど、どきりとした。そうか、似ているんだな。でも、健くんはそういう自分を受け入れて、占いに行かないことで、自分や周りを守っている。それが大事なんだと思う。

「わたしもそうだったかも」
「なーんにもしなくても必ず訪れる、いいことだけ教えてほしいよね」

コーヒーを飲む女性

食器を片付け、2杯目のコーヒーを飲みながらぼんやり考えた。あのとき、もし占い師の言うことを聞いていなかったらわたしはその彼と続いて、最終的に結婚したんだろうか。いやしなかっただろう。何も言えないまま、フラストレーションが溜まって、もっとひどい大爆発をしていたかもしれない。そう思うと、あのとき暴走してあっけない破局を迎えられてよかった。そしていまになれば、あの頃の彼と合っていたとはとても思えない。健くんに出会ってわたしは初めて「合う」ということを知った。なにも意識していなくても、相手を不快にさせないということ。2人の間に揺るぎない尊敬が常に横たわっているということ。時間が経てば経つほどやわらかなのに強くなり、長く続いていくもの。そういうことを知ってからは漠然とした不安や焦りがすっと消えていった。結婚が解決したんじゃない。「合う」を手に入れることが大事だったのだ。

そう思うと、当時もぐりだと思っていたあの占い師も、これだけ売れたということは、ものすごく当たって感謝した人たちがたくさんいるのだろう。わたしとはすごく合わなかった、それだけのことなんだ。自分が信じる相手を間違えただけ。

部屋から見える外の景色

遠くから小学校のチャイムが聞こえる。そろそろ、会社に行かなくては。これから始まる自分の仕事がきちんと楽しみであること。心地よい責任があるということ。14年前の何にも持っていなくて、不安で仕方なかったあのころとは全然ちがう。けれど、また地続きであること。ふと今のわたしはあのときの自分の理想を生きているのだと思った。もちろんこの暮らしを具体的に描いていたわけではないけれど、あのときほしくてたまらなかったものを、当たり前のようにもっている。信じるべきものを信じていて、それがしっかりと続いている。流れるようにここに辿り着いたふしぎさと、ありがたさを噛み締めながら、この生活をできる限り長く守っていきたい、と確かに思った。

<今回のタオル>

伊藤紺さん連載【1週間のタオル】時間を重ねて柔らかくなる火曜8時の<moussepuff>

<moussepuff(ムースパフ> 

吸水性に優れた「パフィールコットン」を使用。洗濯するたびに空気を含み、ふっくらとしたボリューム感が増します。通常のバスタオルよりもスリムで室内干しにも便利!

伊藤紺さん

歌人・コピーライター

伊藤紺さん

2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年短歌詩集『満ちる腕』を刊行。ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアル、雑誌『BRUTUS』『装苑』等に短歌を制作。2021年浦和PARCOリニューアルコピーを担当。過去連載に写真家・濱田英明氏の写真に言葉を書く、靴下屋「いろいろ、いい色」。(InstagramTwitter

2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年短歌詩集『満ちる腕』を刊行。ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアル、雑誌『BRUTUS』『装苑』等に短歌を制作。2021年浦和PARCOリニューアルコピーを担当。過去連載に写真家・濱田英明氏の写真に言葉を書く、靴下屋「いろいろ、いい色」。(InstagramTwitter

Photo | Ryo Tsuchida

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