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2019/07/15

bar bossa林さんの連載小説『タオル越しの、あの人 vol.10』

bar bossa林さんの連載小説『タオル越しの、あの人 vol.10』

東京・奥渋谷に佇むbar bossa。店主の林伸次さんは、カウンター越しにたくさんのお客さまの人生を見てきました。

泣いたり、安心したり、汗をかいたり、眠ったり…生きているといろんな瞬間が訪れます。ちょっと目を向けてほしいのが、どの場面にもひっそりと、柔らかいタオルがあるということ。タオルは大切な瞬間、あなたの傍らにいるんです。

そんな『タオル越しの、あの人』の物語を、林さんが書き下ろします。今回は、海の大きさを知った子どもと、子どもの魅力を知った女性のお話。

 

*****

 

仕事帰りの電車でスマホを開くと、夫からこんなLINEがきていた。

《ごめん。今日、姉貴の息子のシュンを明日の夜まで預かることになった。シュン、海に行ったことがないって言うから、明日連れて行ってやっても良い?》

夫のお姉さんはシングルマザーでライターをやっているから、こんなふうに突然、3歳の息子を私たちに押しつけてくることがある。お姉さんは良い人だし、シュンくんも素直で良い子なんだけど、私は正直、あまり子どもが好きではない。夫とも子どもは持たないで、いつまでもデートを続けるような夫婦でいようと結婚前から決めている。

家に帰ると、お風呂場のほうから夫とシュンくんの大騒ぎする声が聞こえてきたので、お風呂場に顔を出し「ただいま」と言った。

するとシュンくんが「おばちゃん、見て見て。僕、海の中でも顔をつけることができるよ」と言って、お風呂に5秒くらい顔をつけて「ブハーッ」と顔を上げた。「おばちゃんって、私36歳なんだけど…」と思ったのだけど、3歳の子どもにとってはおばちゃんなのかも、と自分の小さいころのことを思い出した。

夫が「シュン、本物の海はな、塩水だからこんなに楽じゃないぞ。目なんて開けてられないんだぞ」と言うと、「僕、大丈夫!」とシュンくんが返した。2人がお風呂場を出て、私がシュンくんをバスタオルで拭いていると、シュンくんは我慢できなくなって、私たちの大きいベッドのほうに走り出した。シュンくんはパパがいないから、私と夫と3人で大きいベッドで眠るのが大好きなのだ。

シュンくんはまだ濡れたカラダのまま、大きいベッドに「ザッブーン!」と言いながら飛び込んだ。そうか、ベッドを海に見立てているんだ。シュンくんはベッドの上でバタバタと泳ぐような真似をして、「見て見て、僕、海で泳げるよ!」と私たちに向かって言った。

夫が私の隣で「そうか、シュンはまだ海を見たことがないんだよな。明日、本物の海を見たらびっくりするだろうな」と言った。

さっさと眠ってしまったシュンくんを真ん中に、私はベッドの中で「そういえば海って全然行ってないね」と夫に言った。

「そうだね。5年くらい前に鎌倉に行ったとき、江ノ電に乗ってたら海が見えたから、稲村ヶ崎で突然降りたんだっけ」

「私が寒くて、すぐにまた江ノ電に乗って、鎌倉でおでんを食べたんだよね」

「海って子どもがいないと、あまり関係ない場所になるのかもね」

 

 

次の日は朝7時に起きて準備をして、電車を乗り継ぎ、三浦海岸には11時に到着した。夫は電車の中で、扉が開くたびに「ほら、シュン、海の匂いがしてきただろ。海に近づいてるんだよ」と、シュンくんの期待をマックスに上げていた。

三浦海岸に着くと、最初、シュンくんは呆然と立ち尽くした。たぶん想像していたのと全然違ったのだろう。ベッドを海に見立てていたくらいだから、もっと小さいのを想像していたのかもしれない。さっきまではしゃいでいたのに、突然何も言わなくなってしまった。

砂浜にシートを置いて、私がシュンくんの服を脱がせている間に、夫も服を脱いで海パン姿になった。シュンくんは、まだ緊張していて何も言わない。男の子って意外とこういう時にビビッてしまうものなんだ。夫が「ほら、行くぞ」と言って、シュンくんの手を引いて海に向かった。

最初のうちは腰が引けていたシュンくんも、あっという間に海や波に慣れてしまって、何度も何度も私と海の間を往復して、「波がね、波が追いかけてくるの」と報告してくれた。

2時になると海の家に移動して、焼きそばとビール、シュンくんのかき氷を注文した。こういうところの焼きそばって本当においしい。シュンくんはかき氷に頭を痛めながら、何度も「おばちゃんは海に入らないの?」と繰り返した。そうだなあ、次回は私も水着を買って着てこようかなと思った。

 

 

腹ごしらえをしたら、海の家でゴムの浮き輪を借りて、シュンくんと夫は少しだけ海の遠くを楽しむことにした。海から帰ってきたシュンくんは感動していた。そうだ、シュンくんのこの表情を動画で撮っておいて、あとでお姉さんに送信しなきゃと思って、「シュンくん、ママに何かしゃべって」とスマホを向けた。シュンくんは「ママ!海、すごく大きいよ。僕、おじちゃんと浮き輪で遠くまで行ってきたんだよ」とスマホに向かって言った。

帰りの電車では予想どおり、シュンくんは疲れ果てて、私にもたれかかって眠ってしまった。小さいカラダが火照っていて温かい。

スマホの動画をお姉さんに送信したら、10分後に《本当にお世話になりました。今日、8時くらいにはシュンをピックアップできそうなのでお伺いしますね》とLINEが返ってきた。

夜、3人でカレーを食べて、夫がシュンくんとゲームをしていると、お姉さんが来た。シュンくんは、「僕が泳いでるの、ママに見せたかった」という話を何度も何度も繰り返した。

2人が帰ってしまうと、私たちの家は突然静かになった。夫が「姉貴も本当は自分が海に連れていきたかったんだろうな。シュンが初めて海を見てビビッているのなんて一生に一度しか見られないもんね。シュンも今日、またひとつ大人に近づいたんだろうな」と言った。

「子どもって私、あんまり好きじゃなかったんだけど、どうしてみんなが子どもに夢中になるのかが今日わかった。たぶん、子どもの成長を見るのがみんなうれしいんだ。昨日まで海をベッドみたいなものだと思っていたのに、今日は本物の海を知ってしまって…。そんな成長が、子どもの魅力なんだね。みんながSNSで“今日初めて『ママ』って言った”とか“あんなに小さかったのにもう入学式。ランドセルが大きくて切ない”とかって投稿する意味がやっとわかった」

そして私は「あっ、シュンくんが使ったバスタオル、いまから洗っておかないと」と言って、砂だらけのバスタオルをビニール袋から取り出した。湿ったバスタオルに鼻を近づけると、海の匂いと小さい子どもの匂いがした。

 

 

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これまでの『タオル越しの、あの人』は、コチラ

林伸次さん

bar bossaバーテンダー

林伸次さん

1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年渋谷にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDSをオープン。選曲CD、CD ライナー執筆多数。『カフェ&レストラン』(旭屋出版)、『cakes』で、連載中。著書『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』(DU BOOKS)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)。韓国人ジノンさんとのブログ
林さんのTwitter(@bar_bossa )。

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